2011年11月12日

gozoCineの主演女優?

gozoCineにたびたび登場する女性――その名はマリリア。
その歌声は「予告する光」予告篇で少しだけお聞きいただくことができます。
http://www.gozocine.info/yokoku.html

映像の中でその名が幾たびも呼ばれるマリリアは、ブラジル出身のシンガー
でありパフォーマー、そして吉増剛造夫人。欧州とアメリカで撮影された多
くのgozoCineにとって、マリリアの歌声とその存在は、控えめでありながら
もとても重要な役割をになっています。そのいくつかをご紹介します。

《Na entrada da casa dos fogos(花火の家の入口で)》
詩人が最初にブラジルを訪れたのは1974年、それはマリリア夫人の里帰りに同
行しての旅でした。この作品で、マリリアは夜のシーンでちらりとしか姿を
見せていませんが、吉増剛造をブラジルへ、サンパウロへ、蟻塚へ、導いた
のは他でもない伴侶だったのです。

《クロードの庭》
予告篇で聞こえていたのはオルレアンのクロード・ムシャール邸の中庭でマ
リリアが歌う「Cicada」。吉増剛造の詩篇「蝉」の一節をマリリアが英語で
旋律にのせています。

  Cicada Cicadaの言葉が静かに聞こえて来る。
  Cicada Cicadaの言葉が静かに聞こえて来る。
  そして宇宙の紙を静かに考えて、"静か" が思考になって行った。……

《柳田さんの宝貝、カリフォルニア》
アメリカは二人の出会いの場所。詩人がマリリアにめぐり合ったのは、1970
年から翌年にかけてのアイオア滞在中のことでした。そして、この作品の舞
台となるカリフォルニアの砂漠は、二人で幾たびも訪れた土地。詩人がデリ
ダの死に際して書いた詩篇「デリダ行 木ガナイトコロニ木ガオチタ」をも
とにした「Gladiolo」がイタリア語で哀しく静かに歌われます。

《Strasbourg, いけぶくろ》
吉増剛造とマリリアはかねてから世界各地でライヴ・パフォーマンスを行っ
ています。この作品では2002年以降最近まで頻繁に二人のライヴに参加して
いたフランスのギタリスト、ジャン=フランソワ・ポーヴロスを加えてのス
トラスブール現代美術館でのライブ場面から始まり、日本でのパフォーマン
スのいくつかの場面へとつながっていきます。詩人と歌い手のパフォーマティ
ヴなセッションの積み重ねの延長線上に、再撮をすることのない映画のため
のコラボレーションも生まれていたのでした。

《鏡花フィルムIV――水の駅》
多摩川の台風のシーンから、鏡花の深川へ、そして演出家・太田省吾のお別
れの会へと続く四部作《鏡花フィルム》の最終篇の最終場面で、マリリアが
歌うのは「River Goddes Song」。吉増の詩篇「春の野の草摘み」の一節か
ら採られています。

《Yeats Vision――アイルランド》
gozoCineの中の歌い手(そして旅の同行者)だったマリリアは、この作品か
ら少し違った存在、レインコートを身にまとって詩集を開き「読む」女性と
して現れるようになります。なぜ薄手の白いレインコートなのか? 撮影者
の演出? あるいは女優のの発案? それともケルトの妖精が、イェイツの
眠るアイルランドのスライゴ―、ベンブルベンの山の見える場所に現れたの
でしょうか……。

《エミリーfilm》
マリリアはこの作品でも白いレインコート姿で詩集のページに目を落としま
す。南北戦争のときには、白い服を着て家にこもっていたというエミリー・
ディキンソンと共鳴するように……。

《Emerald Song》
ピンチハンガーとともにカメラはとても遠くから、何かに静かに少しずつ近
づいてきます。遠くで待っていたのは、フード付きのエメラルド色のレイン
コートに身を包ん歌うマリリア。やがてスクリーンはエメラルド一色に染ま
り、カメラはグランドキャニオンの赤色の山肌に向かいます。


以下の画像は《エミリーfilm》より
第七藝術劇場ではCプログラム、11月14日、17日、22日に上映されます。
http://gozocine.info/program.html

エミリーフィルム06.jpg
posted by gozocine at 05:03| 大阪 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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